ライナーノーツ by 安田謙一(ロック漫筆)

「いつでも夢を。できれば愛を。」

菅沼雄太が叩くクセの強いパターンのドラムスから「できれば愛を」がはじまる。AY
Aのベースが絡み、坂本慎太郎のスチール・ギターが幽霊のように空間を飛び交う。ここ
までは前作『ナマで踊ろう』でもお馴染みのアンサンブルだ。さらに忘れようにも忘れら
れない、変調された“ヨッパライ”の歌声も登場する。そこに新顔の石橋英子のマリンバ
と佐々木詩織と沼田梨花のコーラスが加わる。作品を重ねるごとに、坂本慎太郎の音楽を
構成するエレメンツがじわじわと増えていく。聴き手が、ちゃんと認識出来るようなペー
スで、少しずつ色数が増していく。その変化はとても慎重だ。坂本慎太郎は珍しいくらい
慎重かつ、確実に新しい表現を世に生み出している。往年の日本映画の監督が、気心の知
れた役者やスタッフと仕事を続けるという、そんな行為にどこかダブってみえる。後の曲
では、中村楓子の歌声、西内徹のサックスとフルートもしっかり顔を出す。エンジニア/
マスタリングはもちろん中村宗一郎が担当している。
慎重の慎の文字が慎太郎の慎と重なることに、今、気がついた。
収録された10曲は、曲調も、歌詞も、それぞれが独立している、味わい深い短編集の
ような趣きがある。その中で「超人大会」、「鬼退治」、「死にませんが?」という3つの曲
に共通して、歌詞に「戦うこと」が扱われている。それぞれ規模は異なれど、戦うことを、
避けがたい運命として受け入れている状況は変わらない。この3曲のみならず、多くの歌
には、ある種の切実さがある。「できれば愛を」も一番では軽さを装っているが、次第に乞
うように意味が変質していく。
音源を預かってから、この原稿を書いている今日まで、ほぼ毎日、再生を繰り返してい
る。資料には、昨年夏からトリオのバンド編成で入念なリハーサルを重ねた後にレコーデ
ィングを行った、とある。このアルバムの中毒性は、その過程で練られたグルーヴの成果
かもしれない。間合いもあれば、こっそりとスウィングしている。ある日は、家で、歩き
ながらスマホで、運転中の車中で、プールで泳ぎながら水中ウォークマンで…と試聴環境
を変えながら、文字通り、一日中、リピートして聴いてみた。特に、薄暗いプールの底を
見て泳ぎながら聴く「動物らしく」に痺れた。音楽が身体を包む水すべてに化けるような
怖さと、気持ちよさがあった。「他人」のエンディングのサックス・ソロ(イントロのエモ
ーショナルなスチール・ギターのプレイと呼応している)にも酔った。クロールの動きを
止めて、深く水底に潜ってしまった。
ビートルズの映画『マジカル・ミステリー・ツアー』に出てくるボンゾ・ドッグ・バン
ドが歌いそうな「マヌケだね」から、底抜けに楽観的な曲調の「ディスコって」が出てく
るところもたまらない。男と女、男と男、女と女、それぞれの“行い”を、アント・ファ
ームの中を行き来する蟻たちを眺めるように俯瞰してみているイメージ。まさしく、顕微
鏡で見るLOVE、である。ぼんやりとトーキング・ヘッズ「ヘヴン」を連想していたら、
あの世と繋がる“盆”が歌い込まれていた。
今回は一切、歌詞カードを読まずに、ずっと音から接していたので、言葉はかなり遅く
入ってきた。それだけに、余計に「いる」は効いた。これ以上、さりげなく、強い2文字
はないだろう。かつて「無い!!」と歌っていた人間が歌うんだから、間違いない。
一昨年の夏に、本人から「LOVE」という言葉を聞いたときは、(タイトル曲の2番の
歌詞みたいに)なんとなく「性」についてのアルバムになるような予感がした。結果的に、
私が想像した「夜の営み」は見当はずれだったが、このアルバムからは坂本慎太郎の「日々
の営み」としての表現がまっすぐにこちらに届いてきた。「鬼退治」の歌詞をロック・バン
ドの暗喩と勝手に解釈する。曲を作って、仲間と練習して、こうしてレコードを作るのが
楽しくてしょうがない、という男がいる。それを愛でる私がいる。

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安田謙一(ロック漫筆)